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中古住宅をリフォームして快適子育て

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もし私が死んだら

<もし私が死んだら>

Aさんが両手をぱたぱたさせながら言った。
「死んだら秋田へ飛んでくだよ。」

私はきょとんとして聞いた。
「なんで秋田?」

「産まれた所が秋田だから。ずいぶん行ってないなぁ。」
「そうなんだねー。秋田で産まれただねー。」
「わたしゃ秋田っていうのが恥ずかしいだよ。田舎だで。」
「いいじゃん秋田!水は綺麗だし、いろいろおいしそうだし。」
「そうかいねぇ。」

Aさんは少し笑ってまた言った。
「死んだら秋田へ行けるかねぇ?」
「死んだらどこへでも飛んで行けるの?」
「そうだよぉ。」
「へー!じゃぁ私月に行きたい!行けるかねぇ?」
「行けるよぉ。」
「じゃぁさ、私のとこも来てよ!」
「行くよぉ」
Aさんはくっくっくと笑った。

私は続けた。
「でもね、昼間にしてよー。夜だと怖いで。」
「んー。」Aさんは困ったように首を傾げた。
「昼間はなんだかしらんけど動けんだよ。夜しかダメみたい。」
今度は私が笑う番だった。
「そうなんだね、夜しかダメなんだね。良いよ夜でも。来てくれるなら。」
「うん。行くよ。」
Aさんは私の手を握った。
そして私もAさんの手を握り返した。

「死」というタブーとされているワードを使って、私達は「絆」を深めていた。「絆」というよりも、「人と人とのコミュニケーション」。


ヘルパーになりたての私は、きっとこんな会話はできなかっただろうし、しなかっただろう。


だって、教科書や先生に教わったのは、
「死にたい」と言われたら「死にたい、と思っているんですね。」と返すべし。
そこにある本当の理由と原因をさぐるべし。と。


4年目にさしかかってからようやく分った事が沢山ある。
「人は必ず死ぬのだ。産まれたからには絶対に死ぬのだ。」ということ。
そして、「死」に近い人達と日々暮らして行くと、必ずその「死」を見届ける事になるということ。
そして、私もその別でないという事。
私も死ぬ。
必ず死ぬ。
それに目を背けてはいけない。
もしかしたら明日かもしれない。

死に対して冷静に、そして、当たり前な事として受け入れる事が出来た時、私はお年寄りと共に「死」を心静かに、楽しく、語る事ができるようになったのだと思う。

そして、これは4年目という今だから、ということも。
5年、10年と経った時、私の言動の幼さと失礼さに赤面する事もあるだろう。
けど、これが私の精一杯。

もし私が死んだら、月に行くんだ!


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